今将人のweblog

I was a monster, now I am a desert traveler on the redhill.

“ボンドガール”に必要な力

“ボンドガール”が欲しい人っているよね、と友人と話したことがある。

「クールでモテる俺」設定には「つれなくしても勝手に寄って来る女」が必要だし、「いじめられっ子に優しくしてあげる優等生な自分」設定には「いじめられっ子」が必要だし、「引っ切りなしにサインを求められて困る有名人の自分」設定には「引っ切りなしにサインを求める一般人」が必要だし、という話。

私は昔からその「設定」に付き合わされることが多かった。そして私が設定から逸脱しようとする度に、“ジェームズ・ボンド”たちは、私を怒鳴ったり脅したり「あなたには他に友達がいないでしょ」と憐れんだりした。

それなりに経験を積んだ現在なら「その設定に付き合って欲しけりゃカネ払え」と言えるけれども、当時は不機嫌を露わにされることが辛かった。自分が誰かを不機嫌にさせることが怖かった。人生を擦り減らして他人の「設定」に付き合っていた。

「モテる俺」「優等生な自分」「有名人の自分」が彼らの理想で、翻ってそれが現実ではないことに彼らは勘付いていた。彼らには現実の自分は不本意で、他人の人生を消費してでも否定したいものだった。

ジェームズ・ボンド”に本当に必要なのは“ボンドガール”ではない。他人を舞台装置にしなくても「自分は自分のオリジナルな人生を生きて行ける」という確信だ。その確信は自身が足掻いてもがいて掴むしかない。足掻きを恐れるならひとりで恐れればいい。

そしてすべての“ボンドガール”へ。あなたは他人の人生の舞台装置ではない。あなたに役割を与えるのはあなたしかいない。名前も人生もある「ただひとりのあなた」には、“ジェームズ・ボンド”を捨てて生きる力があると信じている。