今将人のweblog

I was a monster, now I am a desert traveler on the redhill.

当事者意識の快感

「海外に住む友人の職場近くで、暴走した車で死傷者が出る事故があったんだって。友人はいつもその場所を通って通勤していたけど、たまたま休暇を取っていたから生き延びたんだって。それを聞いて『会いたい人にいつでも会えるわけじゃないんだ、会える時を大事にしよう』って思ったんだよ」

そう言った人は、私の病状も障害者手帳の存在もすっかり忘れて、私を「だらしない人」と断じた。

「自分は弱い者の味方でいたい」と正義感を露わにした人は、芸能界のゴシップに憤慨するのと同時に、恋愛経験のない友人を嘲笑した。「弱い者の味方がやることか?」と不快感を示した私に「ゴミをゴミと言って何がおかしいの?」と心底不思議そうな顔をした。

彼らの当事者意識は生活の中にはない。遠い海の向こうやテレビの中の存在には怒り悲しみ喜び涙もするが、目の前の生きた人間には同じものを感じない。

駅前のホームレスを蹴飛ばしながらアフリカの飢餓を憂うのは快感だろう。自分の生活に関わらない存在を媒介に感情を抽出して、存分に味わうことができる無責任さ。その無責任のツケを引っ被るのは、彼らの当事者意識から放り出された”私たち”だ。

せめて私は”私たち”のために生きたい。”私たち”のためにできることをしたい。”私たち”に健やかに生きて欲しい。目の前にいる生身の人間は”私の一部”なのだから。