今将人のweblog

I was a monster, now I am a desert traveler on the redhill.

私たちは物語を生きている

京都アニメーション放火殺人事件にかかわる裁判の報道を見て、頻繁に心に思い浮かぶことを書き置いておく。

私の原家族には問題が多かった。家族という集団に期待される機能を十分に果たしていなかった。原家族のうちの一人を便宜的に"n"と呼ぶ。サンプル数のようなものだと考えていただければ。

私が中学校に入学したあたりから、"n"は私に暴力を振るうようになった。家族構成の変化、個人の心身の発達など、原家族を取り巻く状況の変化に伴って起こるようになったのだと思う。そして頻度は加速度的に上がっていった。

ある日、私が帰宅した途端、いつものように"n"に殴られ蹴られた。唐突過ぎて「何すんねん!」と言うと「お前が鍵を掛けずに家を出たから泥棒が入った。他の部屋を物色する音が聞こえたから自分は押し入れに隠れていた。お前のせいで自分は怖い思いをした」と半泣きでまた殴られた。

1980年代の、関西の新興住宅地での話。自宅に他の家族が残っているなら、鍵を掛けずに外出することも珍しくない時代と場所だ。「だったら私が帰って来るのを待たずに、警察を呼ぶとか盗られたものを確認するとかあるやろ!」と言ったら「お前のせいで自分は怖い思いをしたんや!」と更に蹴られた。

今になって思う。あれが"n"の物語なのだ。

「自分は<私>の行動によって怖い思いをさせられた。被害者である自分には加害者である<私>を罰する正当な理由がある。だから<私>を殴るのも蹴るのも正当な行動だ」

"n"の物語はこのように完結している。客観的な数値や他者の解釈は必要ない。例え警察を呼んで家の中を捜査してもらい、家族以外の指紋や足跡が発見されなくても、物色した跡がなくても、盗まれたものがなくても、当日は風が強く家が軋んでいたと家屋や気象の専門家が証言しても、物語は覆らない。物語とはそういうものだ。

他の家族に"n"の行動の不適切さを訴え、謝罪や訂正を求めたが、すべてが無視された。当然と言うべきか、"n"の主張の正否を問われることもなかった。警察が呼ばれることもなく、私の脇腹と脚のアザが増えただけで、何事もなかったように生活は継続された。これもまた「うちの家族には問題などない」という原家族の物語の遂行だった。

"n"の物語における設定、「<私>は"n"にとって常に加害者である。だから被害者である"n"は加害者である<私>に対し、いついかなる時も報復してよい」という内容について、原家族の中で修正を指摘されることはついぞなかった。そして私は暴力に耐えきれず原家族から逃げた。

私たちはみんな自分の物語を生きている。物語は社会からの情報や人間関係の変化、個人の心身の変化によって修正されることもあれば、されないこともある。統計の結果と自分の実感が異なるときに「統計結果が間違っている」と主張する人は浅はかだ。しかし物語の尊厳はそこにある。エスノメソドロジーやオーラルヒストリーの研究者なら骨身に沁みていることだ。

だからと言って、私が"n"や原家族の物語に付き合う必要はまったくないのだ。毎日アザを見せて被害を訴えても"n"の暴力を認識しようとしない原家族から、私は早々に離脱した。原家族は物語に不適合な私の行動を責め、なじった。殴られ蹴られ怒鳴られ嘲笑され嘘を吐かれ存在を無視される生活に、私が痛みを感じているとは微塵も思っていなかった。しかし私は彼らの物語の舞台装置ではない。舞台装置であることを強要することもまた暴力だ。

この文章は京アニ事件について何かを言及するものではない。京アニ事件の裁判に関するニュースを受けて思い浮かぶ「物語の物語性」について、私の記憶を記すものだ。物語は覆らない。覆す必要もない。ただ私は辛かった。それだけだ。

私は今、共に新しい物語を紡ぐ人たちと生きている。この現在が、どんな未来も想像できなかった過去の自分への、少しの希望になることを願う。